和のイデオロギー 3
本音の表出は、通常は、しぐさと言葉というシンボル(象徴)を媒介にして他人に伝えられるから、この意味で建前化します。
また、情動の発散であれ、利害の主張であれ、信条の告白であれ、あまり露骨な本音の表出は社会のなかの個人としては品性にかかわるから、この点でも本音の建前化は起こりうるのです。
「自治という言葉は『おのずから治まる』と読めるし、『みずから治める』とも読めます。
もし人生の理想からいえば、特に多くの技術工夫を加えず、おのずから治まっている社会を持つことが最も望ましいでしょう。
・・・しかし、それは人口密集し、社会の各要因が各々異なった利害関係を有する近代社会において到底実現し得べくもない」
・・・というのは、すでに戦前の昭和12年、前田多門氏が『東京市町会時報』に寄せた「町会自治雑感」という小文の一節です。
「特に多くの技術工夫を加えず、おのずから治まっている社会」が、事実として、多様な利害と意見が交錯する現実の地域社会においてありえないにもかかわらず・・・
それでも「おのずから治まる」という自治観が成立するには、地域社会では利害や意見は本来一致するはずであると考えられているか、一致しなくとも争うことは悪いことである、争いを起こしてはいけないと考えられているからではないかと解釈できます。
・・・・これは心理学的には一種の「疑似論理」であるといえます。