和のイデオロギー
住民運動における「住民」は、運動の拡がりと高まりとともに「住民エゴ」という批判が浴びせかけられたように・・・
具体的な生活の要請(本音)に根ざす個別的、可視的な利害を主張する、どろくささと、「抗議」(プロテスト)行動を役所等との有効な交渉力の基礎として活用する新奇さとを表していました。
この運動主体としての住民のイメージは、いうまでもなく、戦前のように地方の末端行政への従順な「参助」を義務づけられた「住民」でもなく・・・
あるいは戦後著しく進んだ都市化・大衆社会化のなかで、たまたまある場所に住所を有するだけの「住民登録」住民といったタイプでもないのです。
それは、自分たちの暮しに直接的な大きな影響を及ぼす事業が自分たちの関知しないところで決定され、それがおしつけられてくることに対して公然と抵抗ないし異議申し立てを行う自己主張の表出でした。
・・・ここでの目的は、住民運動を改めて分析することではありません。
「住民」がくっきりと登場した時期を振り返り、その特性を検討することで住民の「元気」の一つに光をあてることです(かつて私はいわゆる阻止型の住民運動を分析したことがあります。
住民運動と一口にいっても、それは、実際には多種多様です。